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行き方

吉原とはどんな場所?吉原遊郭の跡地を散歩

江戸の遊女と赤線の歴史が現代につづく

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吉原遊郭の歴史がつづく吉原を歩いてみました。タブーの街とも言われるけどこの場所はどんな街なのでしょうか。

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「吉原」。

それは東京の中でも特別な場所です。

江戸時代には吉原遊郭があり多くの遊女が自分の性を売って生計を立てていた街です。

太平洋戦争の後もその地は赤線として生き残り、現在においてもソープランドが立ち並ぶ歓楽街として有名です。

もちろんタブー視される存在ではあるけれど、誰もが奥底に持っている欲求はその時代ごとに形を変えて現在まで生き残ってきた街です。

そんな吉原を遊郭の跡地を探りながら散歩してみました。

吉原への行き方

さて、そんな吉原ですが行こうとするとちょっと迷ってしまうかもしれません。

というのも現在の住所には「吉原」という住所は存在していないのです。

現在の住所表記においては

台東区の「千束」

にあたる場所です。

目印としては「吉原大門」の交差点。

吉原大門の交差点

そう、これこそが吉原遊郭の唯一の門であった吉原大門への入口なのです。

最寄り駅としては南千住駅なのですが、都電の終着駅である三ノ輪駅からも近いでしょう。ちょっと歩く気になれば浅草からも歩いていけることが出来ます。

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吉原の場所問題。「新吉原」と「元吉原」

さて、ここで吉原の場所はどこかについて一言。

よくネットで吉原について調べてみると「新吉原」と「元吉原」という表記が出てくると思います。

そのために吉原の跡地がどこだったかで混乱してしまいがちなのですが、これは吉原遊郭の場所が江戸時代の初期頃に移転しているからです。

もちろんその言葉どおり、「元吉原」がもともと吉原遊郭があった場所で、「新吉原」が新しく移転した場所です。

その理由には江戸城に近い中心部からできるだけ端の方へと移そうという意図があったとのことですが、いずれにせよこれより吉原は今の場所に移り、この後に日本最大の遊郭として隆盛を極めたのです。

ちなみにこの元吉原のあった今の人形町や日本橋に当たる場所は、遊郭が移転した後にも歌舞伎や芝居小屋、あるいは花街として栄え、江戸の町人文化の担い手になったわけです。

吉原を散歩してみましょう

それでは今の吉原に戻ります。

目印の吉原大門の交差点ですが、その周辺には「伊勢屋」と「中江」という本格的に時を重ねたようなお店があります。

いせや本店 有形文化遺産

どちらともが創業100年を超える伝統あるお店であり、建物は有形文化財。

明治以降の吉原遊郭と共に歴史を積み重ねてきたお店であり、ここで食べると当時の遊郭の雰囲気に触れられるかもしれません。

「伊勢屋」は天ぷら屋さんで大きな江戸前穴子の天丼が食べられます。

伊勢屋の看板

「中江」では桜鍋が食べられます。

馬肉の中江

桜鍋とは馬肉のことですね。明治以降になると桜鍋は精を付ける食材として東京の下町で人気が高まったとされています。まさに吉原に持って来いです。

精を付けたところでまあどうしようかとなるかもしれませんが、黒光りした重厚感のある木造建築は当時の雰囲気を偲ぶことができます。鍋に舌鼓をうちつつ当時を味あってみてはいかがでしょうか。

地形から江戸時代の吉原を探る

このような吉原大門の周辺ですが、ここから吉原へと入っていきましょう。

これまた吉原の名物である「見返り柳」も横にあります。

吉原大門の見返り柳 見返り柳の石碑

メインストリートである仲之町通りを進んでいくと吉原、、

吉原大門跡

なのですが、やはり気になるのはこの不自然な曲がり角。

ちょっと地図で見てみましょう。

吉原の地図

大通りである都道306号(土手通り)から吉原への仲之町通りはS字のカーブとなっているのです。

これはいくら唯一の幕府公認の遊郭と言えども、やはり人通りの多い通りからは隠しておきたいという幕府の意図によります。

今の土手通りの場所は山谷堀という水路に日本堤という堤防が通っていました。その堤上に造られた街道を通って人々は吉原を訪れたとされていますし、また、もう少し東に並行して通っている吉野通り(都道464号)は五街道のひとつである日光街道でした。これらの人々が多く通る街道から遊郭の姿を隠したかったのでしょう。

それは現在においても残されていて、現在の車の通りが激しい土手通りからは吉原のソープランド街が隠されるような地形となっているのです。

さて、このS字カーブを通り過ぎると吉原大門の跡があります。

吉原の大門跡

まさにこれこそが吉原への入口です。

仲之町通りの両サイドには大店と呼ばれる格式ある遊女屋が並んでいたとされていますが、今でも現代の遊女屋ことソープランドが並んでいるのです。

吉原の入り口

ちなみに、当時の大店で遊ぶには引手茶屋というお茶屋を通してしか遊べなかったとされていますが、その伝統に従っているのかこの地域には特殊な喫茶店が多くあります。

東京には歓楽街が数多くありますが、江戸時代からの色街の歴史を脈々と受け継がれているのはこの吉原くらいです。

全日本特殊浴場連合会

時代は変われど、人の根本的な欲求は変わらないものなんですね。

吉原のソープランド街

仲之町通りを歩いて反対側の入り口へ

ソープランドと喫茶店が立ち並ぶ仲之町通りを歩いて反対側までやってきました。

吉原のもう1つの門

言わば、吉原遊郭の裏門に位置する場所なのですが、当時にあった裏門は通常は開かずの門であり、火災などの非常時と鷲神社での酉の市の時だけ開かれていたそうです。

そして、やはり吉原への入り口は、S字カーブになっている。

やはり吉原はS字カーブ

この脇には、吉原遊郭の鎮守として建てられた吉原神社があります。

吉原神社

吉原からたけくらべの世界へ

さて、このように長い歴史に渡り人々の欲望を背負ってきた吉原を歩いてきたのですが、吉原と言えばこの人は欠かせません。

五千円札の樋口一葉さんです。

5千円札の樋口一葉さん

代表作の「たけくらべ」は明治初期のこの吉原遊郭周りでの暮らしが描かれています。

遊郭に住む少女美登利と、僧侶の息子信如を中心とした少年少女の儚い恋物語なのですが、ある時美登利がその少年少女の集団から抜けてしまいます。美登利の身になにがあったのか。当時の遊郭の住民の悲喜こもごもが描かれている作品です。

そんな作品を書いた樋口一葉の記念館があります。

一葉記念館

そして、江戸の町人文化で忘れてはいけないのが鷲神社(おおとり神社)です。

鷲神社

江戸最大の酉の市が行われた社であり、その酉の市は現在でも大いに賑わいます。

鷲神社

おかめやんがいるので、撫でておきましょう。

酉の市 おかめやん

江戸時代からの人々の欲望を飲み込んできた街「吉原」。

特殊な街ではありますが、その特殊さはある種の閉鎖性となり江戸や明治の空気感を今でも残しているような気がしました。下町文化に触れるにはぜひ訪れておきたい街です。



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